8.ストレスだらけの新婚生活【ひろ’s Colorful Life8】
女性の笑顔が平和の秘訣
結婚した当初から主人がよく言っていたこと。
「奥さんの笑顔が平和の秘訣」
その通りだなぁと思います。
人間のはるか祖先、400万年前のラミダスの時代には、もう家族ができて一夫一妻制になっていたのだとか。
オスは食べ物を妻と子のもとへ運んでいたんですって。
外で働いてきた旦那様は、暖かい家とご飯と奥さんの笑顔に癒される。
暗くて、冷たくて愚痴と不満ばかりの家になんて、そりゃ帰りたくないですもんね。
よく父に言われました。
「『内助の功』って本当にありがたくてさ…」
『内助の功』を私は「妻は家にいるもの」という意味だと勘違いしていた時期もありました。
けれど、そういうことじゃないんですよね。
「帰りたくなる家を創ること」
家族や夫婦のカタチはそれぞれだけど、大自然の法則として、夫婦間の黄金バランスというものは存在します。
陰と陽が必ず相対しているように、家庭と社会のバランスも無視できません。
お仕事が大好きな私ですが、妻として「帰りたくなる家を創ること」は、大切にしていたい部分なのです。
![](https://www.color-saion.com/wp-content/uploads/2018/07/2003結婚式03.jpg)
2003年に結婚。ガーデンウェディングに憧れて、庭付きの邸宅ウェディングでした。
27歳にして、私の人生は終わりなのか?!
東京・吉祥寺という、地理的にも日本の首都という意味でも、中央にある便利な場所で生まれ育った私。
それが新婚生活は一転、日本の最北端・稚内。
海外に行くよりカルチャーショックな毎日でした。
稚内は、何もありません。
「何もない」の本当の意味を知ったのが、この地でした。
人もいない
仕事もない
お店もない
遊びに行く場所もない
気分転換できるものもない
そして、自然すらない(風が強くて、木が育たない)
どうやって生きたらいいんだろう…?
美容院やお店に行くと「ここの人じゃないでしょ?」と言われます。
出身を聞かれて「東京」と答えると、その瞬間にザッと線を引かれるのです。
札幌のように道産子仲間であれば、まだ受け入れられたのかな…なんて思ったりして。
「ここは東京とは違うんだよ!」
「東京なんて、人間の住む場所じゃねぇ!」
私の故郷なんだけどな…
「都会は冷たい、田舎の方が人はあたたかい」と言うけれど、それはまったく逆なのだと知りました。
東京は、誰でも受け入れます。
どこの出身の人でも、誰も何の文句も言いません。
来たければ来ればいいし、去りたかったら去ったらいい。
それを冷たいと言う人がいるかもしれないけれど、当時の私は、田舎の方がよっぽど冷たく感じたものでした。
田舎の人がやさしいのは仲間と観光客に対してなのか、『暮らす』のは、全然違う。
私はそこで、初めて『よそ者』という言葉を痛感したのでした。
![](https://www.color-saion.com/wp-content/uploads/2018/07/2004結婚記念日01.jpg)
結婚記念日写真2004年ver. まだ「似合う色」を知らない頃です。
ストレスだらけの新婚生活
もともと働くのが好きな私は、何もすることがない毎日が苦痛で、そのうちストレスで顔じゅうに吹き出物ができ、耳が聞こえなくなってしまいました。
毎日、朝が来るのが恐怖。
「ああ、今日もまた1日が始まってしまった。何もすることがない…」
だから、『ハガキを出す』というミッションがある日は、本当に嬉しかった。
「今日は『郵便局に行く』という用事がある!!」
稚内は雪国ですが、とにかく風が強い地です。
気温が-5℃であっても、風速7mであれば体感温度は-12℃。
雪+風、イコール吹雪です。
札幌までは片道5〜6時間。
(稚内⇔札幌は、東京⇔名古屋と一緒)
札幌のライブチケットを予約し、近くのローソンまで行くにも片道3時間。
ちっとも“コンビニエンス”じゃなーい!なんて騒いだものでした。
![](https://www.color-saion.com/wp-content/uploads/2018/07/2005結婚記念日01.jpg)
結婚記念日写真2005年ver.
私流・稚内の四季は『春・初夏・冬・真冬』。
1年の半分が冬なので、モノトーンの世界になります。
「Winter Blue」という、色彩のなくなる冬に人は心を病んでしまう。
その現実を目の当たりにした感じです。
白・黒・灰色の世界は、外の景色だけではなく、人生そのものから彩をなくします。
青空が見える日すら、少ない冬。
「せめて車だけでも、派手にいこう!」と、私たちは真っ赤な車を買いました。
そして言われたのは…
「そんな車に乗って、恥ずかしくないの?!」
もう、どうやって生きたらいいのかわからない。
私は思っていました。
愛がなきゃ生きられない。
でも
愛だけじゃ、生きられない…
そんな新婚時代でしたが、札幌に引っ越した数年後、なんと稚内への愛と感謝でいっぱいになる日がくるのです!
人生、「イヤダ」では終わらないのだ!
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結婚記念日写真2006年ver. 似合う色の服を着るようになり、ここからどんどん可愛くなります(笑)
見知らぬ土地で、逆単身赴任!
私のあまりの憔悴っぷりに、見かねた主人が「札幌に出て働いていいよ」と言ってくれました。
ちょうど色彩検定1級を取り、「資格だけ持っていても仕事にならないからどうしよう」と思っていた頃です。
お言葉に甘え、私は札幌の会社に就職しました。
しかし、そこは、今でいうブラック企業!
家庭を犠牲にしてまでやりたいことではありませんでした。
主人は基本的になんでも「いいよ」と言ってくれる人。
その彼が、その時ははっきりと言ったのです。
「その会社は辞めな」
さて辞めたはいいけど、このまま稚内に戻っても同じことの繰り返し。
マンスリーマンションもまだ契約が残っていました。
そこで私は考えました。
転勤族の夫について、どこでもできる仕事を身につけられないだろうか?
当時はホットペッパー全盛。
札幌中のカラースクールを片っぱしから見学に行きました。
私はどうやら、情報を徹底的に集めて体験して決めるタイプみたいで、行けるところには全部行きます(笑)
そして私は、パーソナルカラーとカラーセラピーを学ぶことになったのです。
外見と内面、両方からアプローチしてその人らしさを引き出していくカラーの世界。
学んでみると、四元素やら陰陽五行説やらマンガの知識がおおいに役に立ち(笑)
え?
これ、仕事になるの?!
ワクワクしながら学び、超最速で独立。
私は29歳になっていました。
![](https://www.color-saion.com/wp-content/uploads/2018/07/hiroko_100.jpg)
独立後いったん稚内に戻り、2007年に札幌へ転居。
このボトルはTCカラーセラピーの前身、二層の100本ボトルです。