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心とカラダ・幸い病気のおかげさま

伊藤裕子(いとう ひろこ)プロフィール

体は痛くて苦しいのが「普通」だった時代と、心と体の健康のはなし

2010年7月、突然倒れる

2010年7月12日早朝、突然体調がおかしくなりました。

頭痛・発熱・吐き気・めまい・しびれなどから始まり
全身麻痺・全身痙攣・言語障害・呼吸困難・よく見えない・聞こえにくい…

いろいろな症状に、一気に襲われる私の体。

「病院に行っておいで」と言われても
自力で行ける状態ではなく、
慌てて帰宅した主人に連れられ病院へ…

医師の前の私は
数分おきに熱が38℃を超えたり36℃台に戻ったり
指1本自分の意志で動かすことができなくなり
こわばって掌に食い込む指を無理やり主人に開いてもらったり
言葉を発したくても口が動かず、呻くことしかできなかったり。

明らかに異常な状態。

でも、
診断結果は異常なし。

 このまま治らなかったらどうしよう…

沸き上がる不安。
そして主人も思ったそうです。

 生きる意味がわからなくなってしまうんじゃないかな…

医者嫌いが作られた20年〜ドクターハラスメントの日々

私が体の異常をはじめて感じたのは
中学生のときでした。

突然起こるひどい動悸。
苦しくてその場でうずくまる。

心臓のあたりに激痛が。
息もしにくい。

そんなことが前触れもなく起こるようになり
おかしいと思った母は、私を病院に連れて行きました。

でも、何の検査をしても異常なし。

数値的に異常が出なければ、医師は何もしてくれません。
せいぜい、気休めの薬が処方されるくらいです。
(当時のあれは一体何の薬だったんだろう??)

しかし数値的に異常がないからといって
私の体が良くなったわけではありません。

中学3年生の夏、海で倒れてしまいます。

病院に連れて行かれ、検査をしても異常なし。
大きな病院を紹介され、検査をするけどやはり異常なし。

おかしな体を抱えながら、今度は高校3年生の夏。
予備校で倒れました。

そして病院にて、また同じことが起こりました。
西洋医学的には、異常はないのです。

結果、痛みや苦しみを我慢することは
私にとって当たり前のことになっていきました。

「あなたの『大丈夫』は信用できない」と
言ってくれた友人の方が、よっぽどありがたかったな…

大学生になってからも
社会人になった後も
体はずっとおかしいまま。

体の痛みや苦しみからくる不調と、
病院たらい回しの日々は継続されました。

でも数値的な異常はないから
どんなに痛くても苦しくても、助けてはもらえません。

整体や気功や鍼灸やカイロプラクティックや…
「いいよ」と聞けばアレコレ試す日々。

約20年間、体は常に痛くて苦しかった。

でも
私が本当に本当に辛かったのは、
実はカラダの痛みや苦しさではありませんでした。

それは…

それぞれの病院で、
何人もの医師から投げつけられる心ない言葉たち。

 「はぁ〜? 気のせいなんじゃないの?!」

 「動悸がするとかさぁ、俺だってなるし」

 「あんたがおかしいんじゃないの?」

 (毎日終電生活の私に対して)
 「はぁ?休めないって、何でだよ」

中には診察中にタバコを吸って
煙を私に吹きかける医師もいましたし

荒っぽく打たれた注射で筋肉がおかしくなり
3日間腕が上がらなくなったこともありましたし

「昨日の院長の診断は間違いだね〜。
 こっちの薬をとりあえず飲んで〜」
と大量の薬を何度も購入させられたりもしました。

看護師に話した内容が通っておらず、
一方的に自分のやりたい検査をして

「あの…私、この症状をどうにかしたいんですけど…」

と訴えると

「は?そんなの話にならないね」

と、意味不明な返答をして取り合ってくれない医師もいれば

検査後、出血が止まらず
不安になって病院に連絡した私に対して

「そんなわけないけど。
 もしそのまま血が止まらないなら癌ってことだから」

と電話口で言い放つ医師もいました。

まだまだ、この手のエピソードはキリがなくあるのですが
とりあえずここまで。

中学生の頃から、成人した以降も。
多感な時期に、大人の専門家(医師)から受け続けた
数えきれないほどのドクターハラスメント。

それにより、私は医者が嫌いになり
また無意識に自分を責めるようになっていきました。

 みんな、こんなに身体が痛くて苦しくても
 ガマンして生活してるんだ。

 「痛い」「苦しい」って言う私が悪いんだ…

奇跡的な治療家との出会い

2010年の夏に倒れた後
異常なしと言われた私は、なんと1ヶ月の日本縦断出張に出ます。

当時、まだ広がりはじめたばかりの
TCカラーセラピスト講座〜トレーナー講座を全国各地で開講する旅。

ありがたいことに各会場ほぼ満席で楽しい一方、
やはりあれだけの症状が出た後のこと。

どんどんモノが食べられなくなり
体のしびれが出始め、
札幌に戻ったときにはまったく動けなくなっていたのです。

幸い、広島滞在中に腕のいい整体師さんと出会った私は
母に連れられ、急遽広島に飛びました。

 もう、彼にしか治してもらえない。

 きっと彼なら治してくれる。

藁にもすがる思い。

そこは、病院に見放された人たちが最後に辿り着く、
駆け込み寺のようなところでした。

初めて会ったとき、その整体師さんは思ったそうです。

「うわ…大変な子がきちゃったよ。
 その身体でよく生きてたね」

毎日受けることになった整体はとんでもない激痛。

初期の頃は、体力も気力もなく
とんでもない痛みに、叫ぶことすらできませんでした。

絶食治療をはじめ、
腸のこと、ローフード、マクロビ、デトックスなど
自分の知識と整体師さんのアドバイスを総動員して食事療法を取り入れたのは大正解。

動物性のものや消化に負担のかかるものは
食べれば身体に激痛が走るので、
その後2年間は完全なベジタリアンでした。

歩けないので車椅子生活を送っていた私の体重は激減。
まるでペラペラの紙のような身体。

光も音もダメだから
自然光の無音の世界でひっそりと過ごしたい。

呼吸困難がとりわけひどく、私の身体は
普通の人が何も考えずにしている「呼吸」の
やり方がわからなくなっていたのです。

それでも救われたのは、
その整体師さんと、サポートに入ってくれていた医師が
私の身体を「異常である」と認めてくれたこと。

病人にとって、『自分が病気である』と
認めてもらえないのはとても辛いことなのです。

身体が苦しいと訴え始めてから実に20年。

ようやく私は、
その苦しさがあるのは異常であると認めてもらえたのでした。

心と身体の繋がりって、こういうことか!

結果として闘病生活は、実に3年半近くかかりました。

その間、私の病気の回復の助けになったことが
『心と身体の繋がり』

そしてもうひとつ。
『何がなんでも健康第一』

病気になって、母に付き添われて過ごし始めたとき
こんなことを言われました。

「あなたを育てる中で、ずっと引っかかってたことがあるの。
 前にも何度か話したけど。
 ちゃんとあたたかいご飯(愛)を
 あげられていなかったんじゃないかって。
 ずっと苦しい思いをさせていたんじゃないかって。
 それが今の病気と関係あるんじゃないかって。
 何かひっかかることない?
 何でもいいから話してほしい」

確かに昔からたまに言われていたこと。
でも最初はよくわかりませんでした。

だってとても仲のいい家庭で育ったし
環境的にも恵まれていたと思うから。

でも…

「小さなことでもいい?」と私はポツリと母に話し始めました。

「お母さんが私の大切なものを傷つけたとき、
 お母さんは『わざとじゃない!』って怒ったけど
 私はただ『ごめんね』って謝ってほしかった」

「あの時、どうして怒られたのか未だにわからない」

「私が傷ついて相談しても
 『相手の気持ちになってちゃんと感謝しなさい』って
 いつも、何があってもそう言われるから
 結局私がすべて我慢しなきゃいけないんだって思ってる」

 etc etc...

それらひとつひとつは、本当に小さなエピソードでした。
でも、怒りや悲しみ、諦めや絶望は30数年ずっと私の中に溜まっていたのです。

また中高時代の嫌だった思い出や人間関係も然り。

それらひとつひとつを丁寧に話して
また母も真摯に向き合い受け取ってくれて。

「それはお母さんがおかしいわ。ごめんね」

私の心の中に溜まっていたものは
徐々に解けてなくなっていきました。

時を同じくして、実は離婚の危機にもありました。

働かず、口でだけ立派なことを言う夫。

子どもの頃から貯めていた貯金は食いつぶされ
「来月はここに住んでいられるんだろうか…」
という状況が1年以上続いていたのです。

それでもまわりからは「素敵な夫婦ね」と言われる。
それがもう苦痛で苦痛で、仕方がなかった。

何を言っても、どう伝えても変わらない夫に

 離婚という選択以外、もうどうしようもないのかな…

と絶望していました。

 でもやっぱり嫌いにはなれないんだけどな…
 一生、一緒に過ごすつもりでいたんだけどな…
 離婚しないと、何も変わらないのかな…

そんな悩みが出始めた当初は、相談してもやはり

 「あなたと結婚してくれた彼に感謝しなさい」
 「自分ができることを相手にも求めちゃダメだ」

と返答していた両親も、さすがに事態を重く見たようで
結局、両家の親を交えて6人で家族会議をするに至りました。

結果としては、その後も紆余曲折はありましたが
今は「20年以上一緒にいてそんなことありえるの?!」と
まわりが驚くほど、とても仲良くやっています。

そうやって小さなことから大きなことまで
本当にひとつひとつ向き合って解消していきました。

両親や妹弟とのこと、夫との関係、
過去の傷やトラウマ、人間関係…

そして大好きだった仕事をいったん手放すこと。

今の状況・状態をそのまんま受け入れること。
必要な時間なんだなと、その時間をくれた体に感謝して。

そうすることで身体の回復力もまた、
上がっていることを私は感じるようになりました。

そのとき、初めて実感したのです。

 心と身体が繋がってるって、こういうことか!!

知識としては知っていたこと。
それが現実として私の中に落ちてきたのはまさに、
この長期の闘病生活のおかげだったと思います。

その後、体はゆっくりゆっくり快方に向かいました。

死にかけだったのが、重病人くらいになり、病人になり、
「ストレスなしの生活」が最大テーマの自宅療養時代を過ごし
体調のアップダウンを繰り返しながら2013年の年末に仕事を再開。

翌2014年にはまた大きく体調が下降し、
瞑想や気功、エネルギーワークなどに出会い、

そして札幌から神奈川にお引越し。

そこで体が環境に慣れるまで、
また体はアップダウンを繰り返しました。

今、私は体の声を聴きながら
元気に楽しい毎日を送っています。

私の体験が、
少しでも同じようにシンドイ思いをしている方たちの
お役に立てれば嬉しいです。

心や体がシンドイとき(病気のとき) ひろ流・回復力をあげるポイント

 自分に起きていることをそのまんま受け入れること

 今の状況や環境を受け入れること

  過去も人間関係も執着もプライドも手放すこと

 仕事への不安やこだわりを手放すこと

 心・体・家に溜め込んでいるものを手放すこと

 自分としっかり向き合うこと

 体の声に耳を傾けること

 心の声を無視しないこと

 親やパートナーとしっかり向き合うこと

  無理して食べないこと

 知識に偏らず、今起きていることを見ること

 会いたくない人には会わないこと

 やりたくないことはしないこと
  (やらなきゃならないと1人で勝手に思い込んでいることね)

 自分が楽しいと感じることをひたすらすること

 考えすぎないこと

 自分を騙さないこと

 自分の現状や状態、気になることは伝えること

 自分を自分の人生の中心に置くこと

そして

 幸い病気のおかげさま

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